自身の引きこもり体験となると、中学2年のころから、トリガーは、イジメによって、登校拒否になり、一旦は復学するのですが、高校からまた、登校拒否になり、そのまま、引きこもりになったのですね。
引きこもり中は、ゲームばかりしていました。
父親はどうかわからないですが、母親は、前のブログでも書いたとうり「そんな、あんたでも、大丈夫よ」と、言い続けてくれていましたね。
ただ、そこから、20代になったあたりから、カウンセリング、そして、病院に通院するようになり、ただ、一人では通院できないですから、母親についてきてもらっていて、受診、薬をもらっていました。
そんな中、やはり、ゲームだけしていて、楽しい、楽だなぁ、なんて、世の中で言われているような、イメージで思っている引きこもりなんて、一人もいないわけで、常に、焦り、この世から消えてしまいたいと思って、苦しみのただ中にいました。
そして、その苦しみから、アルバイトを始めるのですが、焦りから始めているので、心は癒されてないわけですから、3ヶ月と、続かないわけです。
長く続いたのも、工場のアルバイトで、2年間だけでしたね。
そこからは、単発バイトもいれる自信もなくなり、本当にこの世から、消えたかったですね。
その中で、投資なども、一発逆転と、始めるわけですが、そんなことはないわけで、散々な結果に終わりましたね。
ただ、それでも、母親は、「大丈夫、大丈夫」と、言い続けてくれて、その結果か、私は、引きこもりの、青年たちの集まりに参加するようになっていったのですよね。
そこでの、仲間との、パーティーや、キャンプ、海水浴で、エネルギーを取り戻して、そこのつてで、障害を抱えたひとの、職業訓練をする作業所に通うようになりました。
その、作業所に通いながら、病院のデイケアにも、通うようになり、人に慣れていって、内職を役場から、いただくようになりました。
そして、その作業所を経験して、内職を経験して、昔から勉強していた、そして、受けていたカウンセリングを、自分の自営業としての仕事にしたわけです。
私のように、自営業を仕事にするのは、特殊かもしれません。
しかし、このように段階的な経緯をたどって、地元の企業に、就職していった仲間たちは、たくさんいます。
ですから、このような道を辿れば、引きこもりから、抜け出すのは、難しいわけでもないのです。
そして、私には夢があります。
引きこもりという生き方が認められ、引きこもりが、少しのお金を稼いで、そのお金で豊かに暮らせる、引きこもりのシェアハウスをつくることです。
引きこもりというものが、マイナスでなく、世の中に認められる時代がくるまで、頑張ります!
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