私は、不登校、引きこもり(20年以上)、作業所でのリハビリ、役所からの内職、今は、カウンセリングと、生活費のためのコンビニアルバイトと、働いて生活しているのですが、本当に、今も、不登校、引きこもりからの、リハビリの最中だと思ってます。
しかし、不登校、引きこもりで得られた、人生の宝というものは、本当にたくさんあったと思ってます。
確かに、高校に入学して(私は、高校中退)、大学に入学して、社会人になって、60歳まで働いて、65歳から年金をもらい、生活していく。
という、とても、日本人らしい人生も、素敵だと思います。
ただ、そういった人生だけが、良い人生かというと、そうではなく、人生に、試練や困難な事があり、それに心砕かれて、人生につまづき、私のように、何十年と、人生の大切な時期を、棒に振るということも、あると思います。
しかし、そんな時ほど、確かにその、試練や困難で、心歪む人もいますが、その試練困難に立ち向かい、自分の人生の、本当の意味、宝を得られた。
という、人の話を聞いた人は、多いはずです。
それどころか、大なり小なり、多くの人は、そのような経験があるのでは、ないでしょうか?
そういった意味でも、人生に、良い人生、良くない人生というものは、ないと思います。
ただ、その出来事が、起こっただけ。
出来事や、物、外的要因は、究極、人を幸福にも不幸にもしません。
お金に関して例を出せば、大金持ちでも、私は、不幸せだ!
と、いっている人もいるし、お金がなくても、私は、幸せだ!
と、いっている人がいるのは、皆さんご存知の、通りだと思います。
ですから、人の人生が、良い良くないと、判断するのは、ただ、その人の受け止め方、心なのです。
星野富弘さんは、首から下が動かない障害がありますが、花の絵を描き、詩を描いて、個展などを開いて人々を感動させています。
その詩には、星野富弘さんが、どのように生きてこられたか、障害とどう向き合い、生きているか、というのを感じます。
星野富弘さんは、その障害を負ってしまったからこそ、その詩人として画家としての、才能を開花させました。
そして、その詩には、自分の人生を、不幸せな事とは、全くとらえていない、優しい強さ、包み込むような暖かさ、ぬくもりを感じます。
本当に、それを感じると、何があっても、人生は、自分の受け止めようだなと、思わされます。
人生には、本当に、良い良くないはないと思います。
私も、不登校、引きこもり時代、そうだったように、ただ、生きているだけで、素晴らしい!
生きているだけで、価値がある。
そう思うなかから、なにか、人生の道、光が見えてくるのではないかな?
と、そう、思います。
Twitterで、カウンセラー若月@まん丸幸太郎、として、つぶやいてます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
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