~「生殺し」の日々を越え、株式投資と親友になったカウンセラーの物語~

プロローグ:暗い部屋のモニターと、冷えた指先
2004年。日本中が「デイトレード」という熱病に浮かされていた頃、僕の時間は暗い四畳半の部屋で止まっていました。
不登校から始まり、気づけばひきこもり歴は20年を超えていました。
窓の外を歩く同世代の足音が、自分を責める刃のように聞こえる毎日。
テレビのニュースで流れる「若者の活躍」は別世界の出来事で、僕にあるのは
「社会のレールから外れた自分には、もう死ぬ以外の選択肢はない」
という、冷え切った確信だけでした。
そんな僕が、なぜ今、コメダ珈琲の赤いソファに深く腰掛け、優待のコーヒーを飲みながら、カウンセラーとしてこの記事を書いているのか。
これは、投資という名の地獄を這いずり回り、血反吐を吐きながら「自分自身」と和解していった、ある男の20年間の巡礼記録です。
第1章:「一発逆転」という猛毒の希望
当時の僕を支配していたのは、焦燥感でした。
「ひきこもりから立ち直って、普通に生きている大人」なんて、僕の周りには一人もいませんでした。
相談できる相手もいない、未来も見えない。そんな瓦礫のような日々の中で、唯一の「蜘蛛の糸」に見えたのが、本屋の片隅に並んでいた『デイトレで億万長者』という、今思えばオカルトに近い投資本でした。
「これだ。これで勝てば、社会に出なくても生きていける。馬鹿にしてきた奴らを見返せる」
それは希望という名の「猛毒」でした。両親が「この子が少しでも前を向けるなら」と絞り出すように渡してくれた大切な小遣い、そして命を削るようにして稼いだアルバイト代。
僕はそのすべてを証券口座に叩き込みました。
ネット掲示板(当時の2ちゃんねる等)には、一晩で数百万円を稼ぎ出す「キラキラトレーダー」たちが溢れていました。
彼らの虚像を自分に投影し、僕は狂ったようにマウスを握りました。
しかし、現実は非情です。初心者が、それも精神的に追い詰められた人間が、マーケットという戦場で勝てるほど甘くはありませんでした。
負けては資産を溶かし、自尊心を削り、また入金する。その繰り返し。
絶望よりも苦しかったのは、中途半端に
「明日は勝てるかもしれない」
という光が見えてしまうことでした。
それは、まさに「生殺し」の毎日でした。
第2章:2006年、ライブドアショックという審判の日
崩壊の日は、2006年1月にやってきました。ライブドアショックです。
それまで右肩上がりだった新興市場は、一転して地獄絵図となりました。
昨日まで掲示板で神のように崇められていたトレーダーたちが、次々と悲鳴を上げ、化けの皮が剥がれるように没落していきました。
僕にとってそれは、単なる「株価の暴落」ではありませんでした。
自分の心の支えにしていた「投資で逆転する」という物語そのものが、音を立てて崩れ去った瞬間でした。
「僕の人生も、結局はこの虚像と同じだったのか」
足場が消え、底なしの沼に落ちていく感覚。
折れた心にギブスを巻くようにして、震える手で注文を出し続けましたが、もはやそこに「億万長者」の夢はありませんでした。
あるのは、ただ「死にたくない、誰か僕を救ってくれ」という、魂の絶叫だけでした。
先物、オプション、FX。手法を次々と変え、1000万円近い資金と、10年以上の歳月をドブに捨てました。
それでも僕は株式投資にしがみつきました。
ここで辞めてしまえば、自分のひきこもった10年以上の期間が、ただの無価値なゴミになってしまう。
その恐怖だけが、僕をモニターの前に縛り付けていたのです。
第3章:背中に注がれていた、声なき祈り
そんな僕を見つめていた人たちがいました。
両親です。
血反吐を吐くようなトレードを続ける僕の背中を、両親はどんな思いで見つめていたでしょうか。
何も言わず、ただ食卓に温かいご飯を並べ、「生きてさえいればいい」と祈り続けてくれた。
当時の僕にはその重みが分かりませんでした。
自分のことで精一杯で、彼らが僕以上にどれほど苦しみ、絶望していたかに気づく余裕もありませんでした。
今、カウンセラーとして多くの親子と接する中で、ようやく分かります。
子どもを見守る両親の苦しみ。
あの時の僕の「足掻き」は、側から見れば喜劇のように滑稽で、馬鹿げたことだったかもしれません。
でも両親からみれば僕の「足掻き」「喜劇」を見るのはどれほど辛かったでしょうか。
でも、あの狂気のような執着こそが、僕が「生きたい」と願った唯一の形だったのです。
泥沼の中で、光が消えてもなお、僕は生きようとしていた。
その生命力があったからこそ、僕は今、こうして生きている。
しがみつくことは、恥ではありません。逃げることも、足掻くことも、それはあなたが「自分の人生を諦めていない」という、最高に尊い証拠なのです。
第4章:聖典との出会い、そして「受容」という夜明け
10年以上の彷徨を経て、僕の指先にようやく「真実」が触れました。
きっかけは、皮肉にも、かつての僕が「地味でつまらない」と切り捨てていた投資の聖典たちでした。
『ウォール街のランダム・ウォーカー』『敗者のゲーム』、そしてメンタルのバイブル『投資苑』。
彼らが一貫して説いていたのは、手法の優劣ではなく「己の心を知ること」と「市場という抗えない力に対する静かな信念」でした。
「ああ、僕は相場と戦っていたんじゃない。自分自身の恐怖や強欲と戦って、自滅していただけだったんだ」
そう悟ったとき、泥沼に一筋の光が差し込みました。
億万長者になる必要なんてない。社会を見返す必要もない。
ただ、自分を許し、等身大の自分として生きていくための「杖」として投資を使えばいい。
そこから僕の投資は変わりました。
一発逆転を狙うギャンブルを捨て、インデックスETFの積立と、優待株を愛でる長期保有へ。
株価の上下で自分の価値を測るのをやめ、届く配当金や優待品に「ありがとう」と言える心の余白を作ること。
それは、株式投資と「和解」し、生涯の「親友」になった瞬間でした。
第5章:コメダ珈琲からのメッセージ
現在、僕はひきこもり時代の恩師の勧めもあり、自営業のカウンセラーとして歩み始めて10年以上が経ちました。
今でも、ひきこもり時代の後遺症はあります。
季節が巡れば「冬季うつ」になり、精神的な疾患で思うように体が動かず、満足に稼げない月もあります。
でも、そんな時に僕を助けてくれるのは、かつて僕を殺しかけた株式投資です。
郵便受けに届く配当金の通知や、コメダ珈琲やドトールの優待券。
それは、過去の僕が血反吐を吐きながらも生き抜いて、今の僕に残してくれた「応援歌」のように感じます。
「今日は動けなくても大丈夫。コーヒーでも飲んで、ゆっくり休みなよ」
そう言ってくれる親友がいるから、僕は今日も穏やかに笑っていられます。
おわりに:君は、君のままでいい
今、この記事を読んでいるあなたへ。
不登校でも、ひきこもりでも、投資で大損して絶望していても、大丈夫です。
「人生終わった」なんて、誰にも言わせないでください。
20年間暗闇にいた僕が、1000万円を失った僕が、今こうしてコメダ珈琲で幸せを感じている。
これが、何よりの証明です。
あなたは、あなたのままでいい。
足掻いている自分を、どうか誇ってください。
僕は、あなたの味方です。
いつか、このブログを通じて繋がったあなたと、どこかの喫茶店で、優待のコーヒーを飲みながら「あの時は辛かったね」と笑い合える日を楽しみにしています。
心配すんな。なんとかなるから。
生きててくれて、ありがとう。
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